今月の『広告批評』は、「テレビのこれから」という特集を組んでいて、私もアンケートに回答したのだが、Q1の「いまのテレビのすがた(状況)をどう感じてらっしゃいますか」には、予想通りというか、まったく以て絶望的な言葉が並んでいた。もちろん、現役のテレビ関係者は、そうした声は百も承知と、反論する答えを書いていたが、私自身も、良い印象は書かなかった。
赤瀬川原平氏は、「お笑い派遣タレントの職場」と辛辣に評していたが、このアンケートに限らず、昨今の「テレビがつまらない」理由は、芸もない、くだらない若手のお笑い芸人たちがわんさか出ているからだとはよく耳にする話である。だったらそういう番組を見なければいいと割り切って、私のまわりでは、「最近は、NHKしか見ない」という人がやたらと増えている。
もちろん、何が面白いのかは、まったく個人の好みであって、良いも悪いもなく、 年齢によっても随分と違うだろう。
私は、毎年出てきては、一年間の賞味期限で消えていく、キャラものの一発芸に全然ピンと来ない。それから、先輩芸人が、まるで学校の授業のように、雛壇に座っている若手芸人たちを指名して、宿題として考えてきた「面白い話」をさせる番組も、いい加減、飽きた。そういうのが始まると、チャンネルを回すか、テレビを消すかのどっちかだが、それが面白いと思う人もたくさんいるのだから、ズレているのは自分の方なのだろうと思ってる。
とにかく、ムリしている感アリアリのキャラものに辟易していて、コントまで嫌いになった分、私は以前よりも、漫才を面白いと思うようになった。
私は昔から、大木こだま・ひびきのファンだが、最近ではブラックマヨネーズが断然好きだ。
ブラマヨは、吉田敬がまだ毛皮のコートを着ていた頃から、関西ローカルの番組でよく見ていて、未完成ながらも、他の若手とはひと味違った印象だったが、2005年にM-1で優勝した時の「気にしすぎの吉田」というネタは、彼らの漫才のひとつの完成形のようで、本当に面白かった。
漫才というのは、「他者」という存在が、いかに奇妙かを笑いとともに知るジャンルである。その過程で、コミュニケーションの失敗があれば、常識の転倒もある。よく知っているはずの人間の中に、意外な「他者」性を発見して、驚いたり、迷惑がったり、感心したりする。
日常の社会生活では、誰もが、コミュニケーションを合理化して、極力物事が遅滞なく進展するように腐心している。自分の感情にコンプレッサーをかけて、過剰な部分のレヴェルは抑え、足りない部分は押し上げて、思考の道筋を平均化し、相手にとってある程度、予測可能な人格を維持しようとする。さもなくば、めんどくさいヤツ、危ないヤツ、キモいヤツとして、コミュニティの輪から弾き出されてしまうからである。
漫才の所謂「ボケ」役は、基本的には、そうしたコミュニケーションのコードを、的確に踏まえられない人間である。普通はこう言うだろう、するだろうと誰もが思っていることとは、つい違ったことを言ったり、したりしてしまう。それに対して、「ツッコミ」役が、イライラしたり、腹を立てたり、呆れ返ったりする。そのやりとりの滑稽さが、日常、社会生活を営んでいる我々の違和感と、絶妙に重なり合う時、思わず笑いが漏れる。それが、漫才である。











