一昔前まで理想の男性像のクライテリアとして「三高」という言葉がしきりに謳われていた。三高とはすなわち、高学歴、高収入、高身長のこと。適齢期の多くの女たちはこうした社会的にも経済的に外見的にも評価の高いイイ男を、やっきになり追い求めていたのだ。

 だが時代はがらりと変わり、今の男性査定の基準は「三低」と言われている。これはすなわち、低姿勢(レディファースト)、低リスク(安定した職業)、低依存(女性を束縛しない)のこと。ひとことで言えば、壮大に男のロマンを語り「俺についてこい!」という野心家でマッチョな男はほとほとモテなくなってしまったのだ。

 ちなみにこれは日本にだけあてはまる事情ではなく、先進国のほとんどで加速度的に進行中の傾向。ヨーロッパに来て20代30代の女性と恋愛話をしていると十中八九「マッチョ」という言葉がネガティブに使われることに驚く。「つきあってみたら私の彼ったら本当にマッチョで、全然、家のことを手伝ってくれないの」(スペイン人女性)みたいに。男女同権があたりまえに普及する欧州の多くの国々では、今や、俺節に生きるマッチョマンは時代錯誤な人間として嫌われるのだ。

 となるとここから敷衍(ふえん)して考えると…、現代の女性は概して、金や権力やステータスといったパワーゲームに血眼になる男よりも、余裕をもってクオリティ・オブ・ライフを楽しむ男を望んでいるように思える。もう少し極端なことを言えば今の女性は男性に、権力闘争的な「力」よりも穏健でスマートな「知」を求めているのだ。

 ではそうなったときに現代の男性はいったいどのような「知」に磨きをかければいいのか。ここで男性がよく侵しがちな過ちは、やはりステータスをあげるような趣味に走ってしまうこと。分かりやすく言えば雑誌『レオン』で取り上げられるような、時計とか車とかそういったたぐい。けれどオーデマピゲの時計の何を語れようが、フェラーリの何を解説できようが、多くの女性にとってはその会話は「マッチョな男」というマイナスなレッテルとともにただ一蹴されてしまうことだろう。

 それよりも私は世の男性諸氏に、カルチャーに対する視野を広げよと助言したい。これは無論、テレビや漫画やゲームといったサブカルチャーのことを言っているのではない。アカデミックな場でも堂々と通用する正道カルチャーの知識。具体的にいえば、文学や、アートや、劇場文化に対する知をスマートに身につけてもらいたいと願う。もちろん多くの男性にとってそんなハイブロウな世界は「けっ、何を気取ってやがんだ」と排斥したくなるような鼻につく代物だということは分かっている。けれどそこで盲目的に文化を排除するのと、とりあえず知識としては知っておいて深入りはしない選択肢をとるのとでは、人間としての成熟度が大きく異なってくるように思う。そこでここでは読者の男前度をあげるべく、世界の三大時計メーカーならぬ、世界の五大バレエ団についての必要最低限の知識を伝授したいと思う。