この日の演奏は、僕が今、一番聴きたいジャズそのものだった。
ジャズはもともと自由度の非常に高い音楽だ。小節数、コード進行、リズム、テンポなど最小限の決まりさえ守れば、あとは何をやっても自由だ。だから、ミュージシャンが個性を最大限に発揮できる。
この日の日野皓正クインテットの演奏は、そういったジャズの一般的な決まりをもっと少なくし、さらに自由度を高めたフリージャズといわれるジャンルに入る。
フリージャズというと、1960年代、新宿の一見さんお断りみたいなジャズ喫茶で、タバコの煙がもうもうと立ちこめるなか、私語も交わしてはならないという状況を連想される方がいるかもしれない(そんな世代の人たちはこの読者にはいませんよね)が、日野さんの音楽は全然違うものだ。
フリージャズは難しい音楽というイメージがあるが、日野さんの音楽はそんなことはない。
もちろん、ふだん慣れ親しんでいるジャズ(や、それ以外の音楽)とはまったく異なる音が耳に飛びこんでくる。けれども、何も恐れることはない。音を理屈でとらえようとしないで、耳と同様に心をひらいて受け入れ、日野さんがつくりだす音の世界に身をゆだねればいい。すると、ふだん使っていない脳の回路を大きく開いてくれる。
今回の演奏に限らず、フュージョンをやろうとスタンダードナンバーをやろうと、日野さんの音楽には解放感と飛翔感がある。音が出た瞬間から、我々は「ここではないどこか」へ連れていかれる。
かつて、ジャズミュージシャンはその感覚を手に入れるために、ドラッグに走った。日野さんはドラッグと無縁なのはもちろんのこと、酒も飲まない。クールに冴えた精神があの音楽を生むのである。
今回のツアーに参加している多田誠司さんのブログによると、ツアー前のリハーサルは時間的にかなり大変だったようだ。結局、課題を残したままツアーがはじまったという。
演奏をしながら、その場その場で日野さんが求める新しい音楽をつくっていかなければならない。
それを実現するためには、当然、まわりの演奏をしっかりと聴いていなければならない。そして、それに対してちゃんと反応しなければならない。ジャズとは演奏を通じて行なう対話なのだ。しかも、ミュージシャン同士のみならず、我々オーディエンスとも対話をする。
それが緊張感を生み、ぎっしりと実の詰まった音楽をつくる。
多田誠司さんはライヴが終わるたびに「疲れた」と吐露しつつも、「新しい自分を発見した」と記している。
ぼくたちオーディエンスにとっても、収穫の多いライヴだった。
若きジャズドラマー、和丸のことに触れておこう。
ぼくはもっと「暴れまくる」ドラマーを想像していたのだが、決してそうではなかった。むしろ、手堅いプレイだと思った。
ベイシーの菅原正二マスターは「ちょっと単調なのが気になった。音量が一定なので、ダイナミックレンジが狭い。ただ、ものすごい宝石の原石なのは確かだ」とおっしゃっていた。
日野さんは開演後1時間あまり、ひとことも口にしないで、ぶっつづけで演奏した。ものすごいテンションの高い時間だったから、ぼくはその1時間がとても短く感じられた。
第2部に入る前に、いつものように「日野和尚の講話」で客席を笑わせ、かつ唸らせた(これについては次回書きます)。そして第2部に突入した直後、和丸に向かって「もっとパワーを出せ」というように激しいフレーズを浴びせた。休憩をはさんで気持ちが緩んだのだろうか。
和丸は即座に反応した。ドラムの音がしゃっきっと立ち上がったのだ。
トランペッターにとって、ドラマーは燃料噴射装置のようなものだ。トランペッターを生かすも殺すもドラマーしだいだといわれる。クリフォード・ブラウンとマックス・ローチ、マイルズ・デイヴィスとフィリー・ジョー・ジョーンズあるいはトニー・ウィリアムズとの関係が端的にそれをあらわしている。
あのときの日野さんの厳しい表情をぼくは決して忘れない。今まで何度も日野さんの演奏に接してきたが、日野さんのあんなに怖い顔を見るのは初めてだった。
なお、以下のレポートもご参考まで。
・2004年の岩手県盛岡市のジャズスポット・ノンクトンク(岩手めんこいテレビ、「目と耳のライディング」より)
・2006年岩手県奥州市(同)
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| ▲ 日中はBMW/R1150で久々にツーリングを楽しみ、夜はジャズを聴くという贅沢な一日だった(ジャズ喫茶一関ベイシーの前で) |
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| ▲ 演奏後、日野さんは長年の友でもある菅原正二マスターをステージに招き、熱い握手を交わした。このお二人、昭和17年生まれですが、異常にお若い(そういえば、山下洋輔さんも同じ歳ですね) |
| 筆者紹介 斎藤 純(さいとう・じゅん) |
| 作家。1957年岩手県生まれ。立正大学文学部卒。大学卒業後、コピーライターの傍ら、出版社に投稿を続け、84年『辛口のカクテルを』で北の文学最優秀賞を受賞。88年『テニス、そして殺人者のタンゴ』でデビュー。91年小説家として独立、94年『ル・ジタン』で日本推理作家協会賞。2005年『銀輪の覇者』が「このミステリーがすごい 05年版」でベスト5に選出された。主な著書に『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』『モナリザの微笑』などがある。 毎月出かけるいろいろなコンサートや展覧会での感動体験を綴ったエッセイが岩手めんこいテレビ公式サイト「目と耳のライディング」で好評連載中。また、斎藤純さんご自身のブログも随時更新中です。 |













