十代のころからジャズを聴いてきた。
 ロックやクラシックには嫌いなミュージシャンや苦手な曲などがあるのに、ジャズに関してはそれがない(デキシーランド・ジャズと一部のフュージョンは聴かないが)。いろいろなジャンルの音楽を聴くが、「ジャズよりほかに神はなし」(誰の言葉か忘れてしまった)という気分に近い。

 ぼくにとってジャズは単なる音楽ではない。つまり、「耳で得られる愉悦(ゆえつ)」だけでなく、ジャズは「生き方の問題」という存在なのだ。

 そんなぼくが「師」とあおいでいるのが、ジャズ喫茶一関ベイシー(関連記事)の菅原正二さんと、ジャズ・トランペターの日野皓正さんだ。

 日野皓正さんは1942年東京生まれ。13歳で米軍キャンプで演奏をはじめていたというから、そのキャリアは50年を越える(そんなお歳には全然見えませんが)。
 岩手でのコンサートのときに、しばしば「ぼくの本籍は盛岡市加賀野なんですよ」とおっしゃる。疎開していた関係だ。まだ小さかったので、「大きなスイカを食べたことしか盛岡の記憶はない」そうだ。

 十年前、マンハッタンで日野さんらとお会いしたことがある。音楽ライターで作曲家の吉村浩二さんのはからいで、あるDVDの撮影現場にお邪魔させていただくことができたのだ。
 そのころ、ぼくはトランペットを習っていた。
 「自分のマウスピースを持ってきてる?」
 「はい」
 アンブシュアの練習のため、ぼくはマウスピースを肌身離さず持ち歩いていた。
 「じゃ、ぼくのトランペットを吹いてごらん」
 日野さんから世界に二台(もう一台も予備として日野さんがお持ちだ)しかないヤマハのトランペットを手渡された。
 ミディアム・テンポで『ステラ・バイ・スターライト』のテーマを吹く。
 「お、いい音出すね」
 日野さんがドラムでサポートしてくださった。

 撮影終了後、吉村さんご夫妻、日野さんご夫妻、それにデイヴィッド・マシューズさんとシーフード・レストランで夕食をご一緒した。日野さんが肉、アルコールをとらないことをそのとき知った。
 トランペットは自分に向いていないとわかり、今はもう吹いていないが、日野さんにサインしてもらったマーティン・コミッティーは家宝として大切にしている。

 7月1日、ジャズ喫茶一関ベイシーで日野皓正クインテットのコンサートがあった。こういう場合、ライヴがあったと書いたほうがしっくりきますね。
 メンバーは日野皓正(tp)/多田誠司(sax)/石井彰(pf)/金澤英明(b)/和丸(ds)。日野さんはメンバーに新人を加え、育てていくことで知られている。今回は天才ドラマーと脚光を浴びている和丸が入っている。なんと1991年生まれというから驚く。日野さんは十代で現役ばりばりのトランペッターとして活躍されていたわけだから、ご自身の若いころと重ねてみることもあるのかもしれない。

 次回、そのライヴの報告をします。

1999年、ニューヨークでお会いしたときのセッション風景(笑)。サインは、後年、盛岡にいらしたときにいただいた

筆者紹介 斎藤 純(さいとう・じゅん)
 作家。1957年岩手県生まれ。立正大学文学部卒。大学卒業後、コピーライターの傍ら、出版社に投稿を続け、84年『辛口のカクテルを』で北の文学最優秀賞を受賞。88年『テニス、そして殺人者のタンゴ』でデビュー。91年小説家として独立、94年『ル・ジタン』で日本推理作家協会賞。2005年『銀輪の覇者』が「このミステリーがすごい 05年版」でベスト5に選出された。主な著書に『オートバイの旅は、いつもすこし寂しい。』『モナリザの微笑』などがある。
 毎月出かけるいろいろなコンサートや展覧会での感動体験を綴ったエッセイが岩手めんこいテレビ公式サイト「目と耳のライディング」で好評連載中。また、斎藤純さんご自身のブログも随時更新中です。