あらゆる情報が恐るべき早さで伝達されるこのネット社会。残ってゆくのは「だれがなにをやった」という結果だけ。けれど、あえて立ち止まって、よく見てみたい。結果を知っただけではわからない、さまざまな道のりを、その足跡から立ち上る体温のようなものを。

 芥川賞作家・平野啓一郎が、一方的に想いを寄せる現代のヒーローたちの肖像を語る連載エッセイ。面識こそないけれど、その人の「仕事」はだれもがよく知っている。「仕事」を通じて、世の中に愛されている人たちの魅力を解き明かすことで、時代が、人間が見えてくる。

 好きな絵について語る、あるいは語り合うというのは、どこか自尊心をくすぐられるような楽しい経験だろう。モネの『睡蓮』が好き。セザンヌの『サン・ヴィクトワール山』が好き。ウォーホールが好き。リキテンスタインが好き。……

 コンサート会場では、誰も一々、今のフレーズはどうだった、リズムがああだった、こうだったとは語り合わないのに、美術館では、ほとんど義務に駆られたように、皆が作品を前にして感想を述べ合う。

 絵が好きというのは、そもそもどういう経験なのだろう? あるいは、それを敢えて人に語るという経験は?――

 この絵が好きだと語ることは、結局のところ、この絵が分かるという意味に違いない。『睡蓮』が好きだという人は、『睡蓮』が分かり、あるいは、『睡蓮』を描きたくなった画家の中の何か奥深い部分が分かるということである。モネ展の最後に『睡蓮』のポスターを買って部屋に飾る人は、恋人がそれを目にした時に、きっと「そういう人」だと思ってもらいたいと考えていることであろう。

 ところで、会田誠氏の多種多様な作品には、そういう意味で、人がむしろ「好きだ」とは言いたくない、これが「分かる」などとは思われたくないような主題が多く含まれている。あらゆるアクセッシブルな要素――どんなスタイルでも楽々とこなす圧倒的な技術、仕上げの行き届いた丁寧さ、洗練された構図、一目見れば二度と忘れられないような強烈なイメージ、そして、それを提出する方法のいかにも冴えた、芸のある感じ――にも拘わらず、人は、『スペース・ウンコ』と題された、恐ろしくリアルな長い長いウンコが宇宙空間を飛んでいる絵や、『ジューサーミキサー』という題の無数の裸婦が、巨大なミキサーにかけられてゆく透明感溢れる悪夢のような絵、あるいはまた、『犬』と題された、四肢を切断された少女が、犬に擬せられて描かれている都市伝説めいた連作、七輪の上の蛤の中に裸の女の子が胎児のような格好で収まっている『焼き蛤』(食用人造少女・美味ちゃん)など、そのいずれを前にしても、やはりそれらを「好きだ」と告白することに躊躇いを覚えることだろう。「こんなのが好きだと言ってしまえば、変態と思われてしまう!」そして実際のところ、好きではないのかもしれない。

 絵画作品は、アカデミックな基準を失って以来――というより、本当はそれがあった時代から――結局は、陰にその言説を参照しつつ、思想的、美術史的なアプローチでその意味を語り、善し悪しを語るか、あるいは単に感覚的に好き嫌いを語るかという、極端な二つの立場に評価を委ねられてしまっている。もっともらしい理屈でどうにか作品に辿り着こうとするか、もっと直截な言葉で、素朴に、あるいは安直に突進するか。

 会田氏の作品が面白いのは、そのいずれに対しても、作品の方が遥かに鋭い批評性を備えていることである。そして、本人の意識は別にして、そうしたことを知悉し、海外美術市場を如才なく開拓していく同時代のネオ・ジャポニズム的なオタク・アートに対して、ほとんど外傷的核のように存在しているところである。

 初めて氏の『ジューサーミキサー』や『犬』を雑誌で目にした時、私は、病んでるとしか思えないようなその「悪趣味」に呆気に取られ、イヤなものを見たという気分になったが、どう考えてもスゴイ絵であることは間違いなく、しかも奇妙に蠱惑的で、以来、数年越しで気になって仕方がないというのが本音である。ある絵が「好き」というのは、一体どういうことなんだろうかと、私はその自意識の有り様を巡って、改めて考え込んでしまった。

 ともかくも、会田誠氏は、私が常にその新作を待ちわびている「好きなアーティスト」の一人である。

 氏は、三島由紀夫の『美しい星』を主題とした作品を制作しており(『うつくしいほし』、『孤独な惑星―lonely planet』)、十代で傾倒したことを自ら語っている通り、三島作品の影響も垣間見られるが、三島がもしまだ生きていたら、間違いなく氏の才能を絶賛する、熱の籠もった批評を書いたであろう。それは無論、私の勝手な想像だが、後世の優れた作品が、そうして過去の作家の可能性を改めて膨らませて想像させるということも、楽しいことではあるまいか。

現代アートであり日本画であり。リアルウンコから美少女戦争モノまで、恐るべき技術と変態性で表現するアーティスト。しかも、その作品からは想像できないほどのイイ男。画像はMIZUMA ART GALLERYのホームページ。

著者

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)

 1975年愛知県生まれ。京都大学法学部在学中の23歳のとき、『日蝕』で芥川賞を受賞。当時、史上最年少タイでの受賞は、大いに話題となった。『一月物語』『葬送』と、デビュー作に続いて歴史文学的作品を発表した後、一転、舞台を現代日本に移し、作家活動の第二期作品群にあたる短編小説集『高瀬川』『滴り落ちる時計たちの波紋』『顔のない裸体たち』『あなたが、いなかった、あなた』を刊行。2004年には文化庁の「文化交流使」として、1年間パリに滞在し、ヨーロッパ各地で講演活動を行った。初エッセイ集『モノローグ』と、初対談集『ディアローグ』でも、その幅広い知的好奇心に触れることができる。
 最新作は連続殺人をテーマにした長編小説『決壊』。息をのむ結末に、話題沸騰。
 公式HPはhttp://k-hirano.com/