軟式野球ボール、通称「軟球」の表面から、あの懐かしい“ぽこぽこディンプル”が消えてしまった。その理由は、「ボールの反発力はそのままに、打てば遠くへ飛ぶボール! 」へと進化させるためだという。いや、それだけではない。「投手は変化球が投げやすく、野手は遠投しやすく」という目的もあるというのだ。

 言い換えるならば、打者にも投手にも野手にも理想的なボール……って、「そんな都合のいいボールなんてできるわけないやろがぁ~~!」と思わず叫びたくなるようなミッション達成のためだった。

 この難題に“科学の力”で挑んだのが、軟球の製造会社の老舗ナガセケンコーと、共同開発に当たった東海大学工学部機械工学科の青木克巳教授だった。

 そこでナガセケンコーに続いて尼崎太郎が訪れたのは、神奈川県平塚市にある東海大学の青木教授の研究室だった。

これまでの軟式野球ボール(写真右)と55年ぶりにフルモデルチェンジした軟式野球ボール(写真左)。ニューボールには、あのゴルフボール型ディンプルがないっ!


講義開始!なぜ、野茂英雄のフォークが打ちにくいのか?

東海大学工学部機械工学科の青木克巳教授(研究室にて)
 「今の時代、スポーツで記録をつくる場合、過去の経験だけでは足りないんです」と青木教授は、開口一番、言い放った。「大切なのは“スポーツ・サイエンス”なんです」

 流体力学の専門家である青木教授は、今回の軟球のフルモデルチェンジの研究を持ちかけられるずっと以前から、ゴルフボールの“飛び”の研究で高い評価を受けてきた実績を持つ。ディンプルと“飛び”の研究に関するオーソリティというわけだ。そんな“ディンプル先生”とも呼ぶべき青木教授は、尼崎太郎をある部屋へといざなった。

 そこには、パソコンに接続されたプロジェクターが置かれていた。「これを使って説明しましょう」と言うと、青木先生はパソコンを操作して、部屋の白い壁に画像を映し出し、解説を始めた。

 久しぶりに大学の講義の雰囲気を思い出した。

 ただ、私が大学生だった頃には、プロジェクターこそあったけれど、それを個人のパソコンにつないで画像を映し出すなどというハイテクな方法が実現されようとは、想像だにしていなかった。こんな便利なことがごく当たり前だと思っている現在の大学生のことを思うと、20年という歳月の重みがしみじみ感じられた。


資料画像をプロジェクターで壁に映して講義する青木教授。これから新しい軟球の秘密が解き明かされる……

 余談はさておき、青木教授がプロジェクターを使って始めた講義には、

 自然の科学 「流れ学から見たスポーツサイエンス」(2)
 変化球…野茂のフォーク

というタイトルが付けられていた。」

 そして、講義が始まって間もなく、青木教授はいきなり尋ねてきた。

 「なぜ、野茂のフォークボールが打者にとって打ちづらいか、分かりますか?」

 『落差のあるフォークだから……つまり、よく落ちるからでしょ?』と思ったが、簡単に答えちゃいけない気がしたし、でも、「分かりません」っていうのも何だかシャクだったので、黙ってニッコリ笑った。すると、青木教授はちょっと寂しそうな目をしてから、こう話した。

 「ふらふらと不規則な軌道をたどったり、急に落ちたりと、特異な変化をするので、打者が予想できないからですね」

 え、そうなの? 単純に落ちてて、ただ落差が激しいからじゃなかったの!?

 「その理由は、ボールがほとんど回転しないように投げているからですね」

 え? そうだったの!?

 わたくし尼崎太郎もずっと補欠とはいえ中学・高校と野球部だったので、フォークボールの握り方は「人差し指と中指を思いっきり開いて、その2本の指ではさんで投げる」っていうくらいの知識はあった。けれど、そうやって2本の指で挟んで投げたら、なぜフォークの先の部分のようなきついカーブの軌跡を描いてボールが落ちるのか、恥ずかしながら、科学的にきちんと考えたことはなかった。

 あの独特の握り方って、回転を殺す、つまり、無回転のボールを投げるためのものだったんだね。そう言えば、ほとんど無回転のボールが不思議な変化を見せるっていう話は、別のスポーツでも聞いたことがあった。

 今年のワールド・カップでも、日本対ブラジルで、後半、ジュニーニョが放った2点目となる強烈なミドルシュートなど、いわゆる「無回転系」が話題となっていた。スポーツ・ニュースなどでは、スローモーションの再現映像を見た解説者が、その“ほどんど回転しないがゆえに、不規則な動きに揺れるボール”を見て、「こんな凄いボール、そう簡単には蹴れませんよ」って興奮してまくし立ててたっけ。

 でも、なんで無回転だと、ふらふらと不規則な軌道をたどったり、急に落ちたりするんだろう? 野球部時代、キャッチボール中に遊びでカーブやシュートを投げたりする時は、無回転どころか、思いっきりボールを回転させていた記憶があるんだけれど……。尼崎太郎としては、その科学的根拠こそが聞きたい!

 そこで、青木教授に対して「ほとんど回転しないボールが不思議な動きをすることに、科学的な理由はあるんですか?」とど真ん中直球勝負を挑んだ。

 すると、青木教授は自信に満ちた口調で「ありますよ」と答えると、2枚の美しくも不思議な写真を見せてくれた。

ボールの角度の違い(縫い目の場所の違い)によって空気の流れが変わる様子を放電による火花の形で表した写真

 な、なんだ、コレは?

 「放電による火花で、空気の流れを可視化した写真ですよ」(青木教授)

 ボールの表面に針状の電極を設置し、そのボールをはさむように2本の線状の電極を配置して、高電圧・高周波発生装置でパルスを加え、一定時間にくり返し放電を行い、それによって描かれた火花の列を記録するとこういう写真が撮れるのだそうだ。平たく言えば、火花の形で空気の流れの様が分かるわけだ。

 そこで、青く輝くスダレのような火花の形に注目してみよう。

 2つの縫い目が風の流れに対して上下同じ位置にある時、すなわち(a)の場合は、ボールの後ろ(写真では右)の部分の空気の流れも、上下の間でそれほど大きな差はない。しかし、縫い目の位置が風に対して上下違った角度になる時、すなわち(b)の場合は、ボールの後ろ(写真では右)の空気の流れが、右上に向かって流れていくように見える。

NEXT ボールの進行方向と縫い目の角度で、突然、変化が起こる!