2006年夏、軟式野球ボールが半世紀ぶりにフルモデル・チェンジ――。それは、なんだかお洒落な三角形のディンプルに生まれ変わる“ニュー軟球”の登場により、ぽこぽこしたディンプルを持つ、あの懐かしい“軟球”が姿を消してしまうことを意味していた。

 中学時代、ともに笑い、あるいは涙した“ぽこぽこ軟球”への郷愁を断ち切れない尼崎太郎は、「なぜモデルチェンジしなければならなかったのか?」を探るべく、軟式野球ボール製造の最大手であるナガセケンコーを訪れた。そして、社内に開設されている「軟式野球資料館」で、軟式野球の誕生からこれまでの歴史について学ぶこととなった。

ナガセケンコー社内に併設されている「軟式野球資料館」。そこに展示されている、軟式野球ボールの金型。ここに来ると、どういうプロセスで軟球ができるのかがよく分かる。“野球少年”ならぜひ見学してもらいたい 同じく展示されている軟式野球ボールの原材料。左は「生ゴム」。マレーシア、タイなどから輸入される。右は「素練(すねり)」と呼ぶもので、加工性をよくするためにロールに通し、適当な柔らかさにしたゴム


おお! これが最初の軟球か……

軟式野球ボールの歴史について身振り手振りを交えて解説するナガセケンコー商品管理部の笠間義明部長
 さまざまな歴史的資料のあふれる空間の中、ナガセケンコー商品管理部の笠間義明部長から、軟球と軟式野球について基本的なレクチャーを受けることとなった。

 軟式野球ボールは、京都で文房具店を営んでいた鈴鹿栄(1888-1957年)が発明した。当時、硬式野球ボールはあまりに高価であり、堅くて体に当たると危険なこともあって、子どもたちが気軽に野球を楽しめなかったというのがその背景にある。

 そこでなんとか子どもたちも野球が楽しめるようにと、鈴鹿は研究と実験を重ね、大正8年、“少年用ゴムマリ”を完成させた。それが最初の軟式野球ボールだった。

 そして、大正9年には、阪神の鳴尾球場で全国初の少年野球大会が開かれ、軟式野球の歴史の幕は切って落とされたのである。

 「先頃、ある方から寄贈していただいた貴重なボールがあるんですよ」と笠間部長は資料室の奧のショーケースに歩み寄った。そして、さもうれしそうに1つのボールを見せてくれた。

軟式野球資料室の奧にあるショーケース。中には、軟式野球の初代のボールから現在に至るまでの歴代ボールが展示されている

 おお! これが最初の軟球なんだ……って、アレ? ということは、もともとの軟球って、あのディンプルぽこぽこタイプじゃなかったのね。しかも、縫い目のデザインもないじゃん!

大正8年の最初の軟式野球ボール

 その後、軟球はさまざまにその形を変えて流布したが、決定打として開発されたのが、ナガセケンコーの前身である長瀬ゴム製作所の社長が考案した「健康ボール」、通称「菊型ボール」だった。

 この菊型ボールは、現在と同様の2層構造を持っており、それまでのボールよりも耐久性が飛躍的に伸びた。

昭和5~8年頃に使用された「ラッキーボール」 昭和12~17年頃に使用された「大衆ボール」 昭和13~25年まで使用された「健康ボール」(通称「菊型ボール」)

 「当時の軟式野球ボールはとにかく割れやすくて、野球の試合中の守備で『割れた方の大きい方を取ったらアウト』というルールがあったくらいですから」(笠間部長)

 この耐久性が評価され、昭和21年からは「健康ボール」が全日本野球連盟から公式ボールの認定を受け、晴れて、軟球は全国統一規格を持つようになったのである……って、アレレ? 最初の公認球も、やっばりディンプルも縫い目もない……ってことは、この頃までに軟式野球を楽しんでいた人にとっては、55年前に今のディンプルぽこぽこデザインに変わった時には「こんなの軟球じゃない!」って思ったってことかな?

 ま、しょうがないよな。時代は流れ、科学の進歩とともに、道具もまた進化していくんだから……ン? なんか変だな。ま、いっか。

フルモデルチェンジした最新軟球の内部もやはり2重構造。これにより軟式野球ボールには強い耐久性が与えられるようになった。そのルーツは「菊型ボール」にまでさかのぼる

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