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| ■読者のものでなくなった雑誌からバカ記事が消えた |
インターネットは既存メディアを駆逐するのか――。
こういったたぐいのネットVS既存メディア論というのは、これまでも各所で語られてきたわけだが、結局「それぞれ一長一短だよね」という無難な線で、とりあえず落ち着いている感はある。
ただ、今まで既存メディアが優位性を保っていた部分においてもネットが力を持ちつつある――最近、このように感じ始めている。以前から語られてきたネットの優位性というのは「速報性」とか「検索の利便性」とか「無料」であるといった、どちらかといえば機能性に依拠した部分が多かった。不特定多数による発信というのも大いなる利点だと思うのだが、メディア論的に語られる時、これらは、たびたびマイナスファクターとしてとらえられるケースがあった。
要するに「書いてある中身に関しては、新聞とか雑誌といった既存メディアにはかないっこない」こんなスタンスだったわけである。しかし、単純な記事のクオリティーにおいても、ネット上のもののほうが勝るケースが増えてきたように感じている。そのひとつが“バカ記事”である。
誤解なきよう先に説明しておくと、ここでいう“バカ記事”とは、エンターテインメント性が高い娯楽記事のことである。例えば往年の「VOW」とか、また例えば杉作J太郎さんのコラムとか、「読んで何か得があるの?」と聞かれると「別にない」って感じだけど、単純に楽しい――そういった記事のことである。
今まで、こういったバカ記事のクオリティーは、雑誌のほうが断然高かった。ネット上にいくら面白いものがあろうが、ちゃんとお金をかけて取材した上に、プロのライターが書く雑誌のバカ記事のほうが面白かった。これはまあ、当たり前と言えば当たり前の話である。
しかし、ここ数年で状況は大きく変容した。まず、雑誌から「バカ記事」がなくなってしまった。これにはいろんな要因があると思うが、そのひとつには、雑誌が読者のものでなく、クライアントのものになってしまったという背景がある。雑誌が元気だった80年代から90年代初頭にかけては、雑誌は、たしかに読者のものだった。だから、作り手は「読者を楽しませよう」とバカ記事を作った。そして雑誌は、それを楽しむ読者が払うお金で成り立っていた。
しかし、今やほとんどの雑誌は「広告主」のものになった。
その雑誌が面白いのかどうかよりも、「その雑誌は広告取れるの?」ってことが先行しだした。面白い記事が作れる編集者よりも、クライアントとつながっている編集者のほうが重用されだした。そのどっちがいいかについては、ここでは論じないが、読者を笑わしたところで「だから?」という風潮になってきて、雑誌からはバカ記事が消え去ってしまった。そう感じている。
こういった状況は、もともと雑誌畑出身な上にバカ記事が大好きな僕としては寂しい限りなのだが、もう「ま、いいか」と思うようになった。正確には「ま、いいか」と思えるようになった。というのは、クオリティーの高いバカ記事がネットで読めるようになったからである。雑誌で満たされなくなった「バカ記事読みたいゾ欲」が、ネットで満たされるようになったのだ。
















