さて、果たして「ブログで自滅しない方法」はあるのだろうか?
 皆無とは言えないだろう。例えば、100人が100人、まったく異論も、文句も、因縁すらも付けようがないことだけを書いていれば、まず「自滅」の危険性はないはずだ。そして、もし、その上で多くの読者から支持されたとしたなら、あなたは今すぐ文筆業に転職するべきだ。

 ブログを「読む」立場で感じる面白さは人それぞれに違うだろうが、筆者の場合はブログ主の個人的な体験、視点、情報などなど、自分の知らない世界を垣間見られるところにこそ面白さを感じている。特に日記系など、それこそプライバシーに類する話や「居酒屋でのバカ話」的なノリが面白いこともままある。  100人が100人なんの文句も付けようがなく、社会的にも非のうちどころない見解などというものは、すなわちそこで読む必要も価値もないものでしかない。「言論の多様性」などという小難しい言葉を使わなくても、「私とあなたは違う」からこそ、世の中もネットも面白いわけで、それはブログだろうが2ちゃんねるだろうが、まったく同じことだ。

 では、ブログ主としての面白さはどんなところにあるのだろう? これも筆者の個人的な見解ではあるが、自分の想いや気持ちを「まだ知らない」「他者」である「誰か」に閲覧してもらい、共感を得たいという、マズローの五段階欲求説で言えばレベル3とレベル4の間のどこかに位置するような心情がその根にあると考える。

 例えば、初めての育児で日々疲れ切っている女性が、気晴らしに始めたブログを通じて、同じような状況だったり、少し先輩だったりする「ネッ友」を得られたとする。そこで何が嬉しいのかといえば、交わされる情報の有益性云々だけではなく、見知らぬ他者からの「共感」が得られたり、悩みを「共有」できることではないだろうか。そのことをして、ネットを「コミュニケーションツール」と表してもいいし、「業の捨て場((c)中村正三郎氏)」と表してもいいだろう。

 そんなネット生活が長く続き、ネッ友との親交が深まっていけば、思わず旦那のグチなどを書き込んでしまうこともあるだろう。それに対して横からいきなり「匿名とはいえ公の場で亭主を愚弄するとは何事か!」などとコメントするのは、間違った行為とは断定できないものの、無粋に過ぎることだと思う。しかし、例えば「検診に行った○○医院の○○センセイの目つき、手つきがいやらしかった」と実名入りで書いたとしたら、「発言には責任を!」と追及される余地は否定できない。

 ブログでも2ちゃんねるでもいいが、そこに何を書くべきか? 書かないべきか? については、上のような見解を参考にしていただいた上で、個人個人で判断していただくしかない。

 ガイドライン的なものは作れるかもしれないが、その実効性は疑問だ。しごくまっとうなことを書いていても、悪意を持って恣意的に歪曲されることはある。特に趣味の世界の話など、解釈や表現についてのささいな見解の相違から「気に食わない」という理由だけで攻撃される危険性まで排除することは難しい。そういった「通り魔」的な攻撃に遭うリスクを完全に回避できないのは、実社会でも同じことだと、腹を括って取り組むしかないだろう。

 最低限、それすらイヤだという人や、「都合が悪いコメント」と「悪意からのコメント」の区別が付かない人、「自分は好き勝手なことを書くけれども、批判はされたくない」という人に対しては、申し訳ないが筆者から提案できる事柄はない。

過度のディフェンスは「ブログの自滅」を招く?

 悲しいことだが、「ネット・リテラシーの向上」に代表される「心がけ」が、「祭り」や「ブログ炎上」といった事態に対して、即効性ある抑止力とはなりえないことは、認めざるを得ない現実である。

 そこで考えられるのが、技術面で防御性を高めてゆくことだ。

 簡単にできるのは、必要に応じてトラックバックやコメント機能を停止することだ。これはすでにほとんどのブログサービスで実現されている。

 検索ロボットやRSSフィーダーをキャンセルすれば、不特定多数の目に触れる機会は激減するから、アホな連中からの心ないコメント等が付けられる危険性も相応に低まるだろう。

 特定のIPから閲覧できないようにしたり、悪意への反撃手段を確保するため、プロクシサーバーや逆引き不可IP、JPドメイン以外からのアクセス排除などの手段で、閲覧者やトラックバック、コメントを残した相手のトレーサビリティを高める手もある。究極的には「悪意判定機能」が実装できれば、かなりの問題は解消できるだろう。

 しかし、技術的な対策は諸刃の剣でもある。過度の防御は、「ブログ」という仕組み自体の否定につながりかねないからだ。

 「ブログ」を定義することは難しい。特に日本では「簡易ホームページ」という認識が定着している感があって、それも決して間違いではないからだ。

 筆者個人の考えとしては、トラックバックやRSSフィードなどによって、似たような嗜好性を持つサイト間で、自然に「ゆるやかなコミュニティ」が形成されてゆくことが、大きな特徴のひとつだと考える。現在ブログと呼ばれるものの最初の一歩となったのが(奇しくも「あめぞう」と同じく…)リンク集だったと言われていることを考えれば、「積極的かつ容易に『他』とつながる機会を増やす、開かれた仕組み」こそがブログの真骨頂、というのが筆者の理解だ。

 そうでなければ、それこそチラシの裏や紙の日記帳に書くなり、強固な認証システム付きのサーバーを立てて知人だけを招待するなりしていればいいわけで、www上で「公開」することや、「積極的に『未知である他』とつながる機会を増やす仕組み」であるブログというシステムを利用すること自体が間違っている。

 トラックバック機能もコメント機能もないブログは、果たして「ブログ」なのだろうか? ブログを炎上させないため、技術的な防御性を高めれば高めるほど「他とつながる」機会が失われてしまうのだとしたら、本末転倒もいいところだし、ある意味でそれも「自滅」かもしれない。

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